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  かいろうさん      まんぞうじ       そうじいん

海老山 満蔵寺 總持院

当山について

 宗派  高野山真言宗

 宗祖  弘法大師(空海)

 本尊  虚空蔵菩薩

 開創  天平勝宝6(皇紀1414・西暦754)年

 開基  藤原廣政

 開山  弘吽大徳

《 略縁起 》

 

 總持院は 天平勝宝6(754)年に海老名の郷司藤原廣政が有鹿明神の霊夢により虚空蔵菩薩を本尊として創建したと伝わっています 周囲に濠を巡らせた大伽藍で12の坊舎が甍を並べ棟を競っていたため近年まで付近一帯(現河原口三丁目辺り)は「坊中」と字で呼ばれていました また明治元年の神仏分離までは有鹿神社の別当寺でありました

 元弘の乱(1331)に鎌倉を攻略した新田義貞の兵火によりそれらの坊舎も尽く焼失し また永享の乱(1438)では足利持氏がこの地を本陣としたために再び大兵火の及ぶところとなりました しかし天正年間(1570年代)に慶雄大徳により9間四面の大本堂や6間四面の大庫裏などが復興され小田原北条長氏・氏康らの庇護を受けます その後豊臣秀吉に小田原北条氏が滅ぼされるや代わりに関東に入国した徳川家康により天正19(1591)年には早くも寺領10石の御朱印の寄進を受けています

 江戸時代には幕府より「不入」「葵の紋所」を許され 高座・愛甲・大住の3郡に末寺19ヶ寺を有し中本寺・法談所・古義真言宗関東壇林本寺(真言密教の教学中心寺院)として隆盛を極めていました

 明治初年 廃寺になった隣接の末寺「宝樹寺」(現海老名源八尊霊堂の辺り)を併合しました 然しながら明治維新の神仏分離・廃仏毀釈の嵐の中で数多の貴重な寺宝も失われ 更には関東大震災(1923)では江戸期の大本堂・大庫裏などの建物もほとんど倒壊し現存するのは山門のみとなりましたその時に廃材を利用して建立された旧本堂も役目を終え平成6(1994)年には新本堂が建立され現在に至ります

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